お知らせ
2024.03.06

代表棚橋と放課後等デイサービスの出会い。そして「障がい総合支援ひかり」の始まりへ

こんにちは。
障がい総合支援ひかり代表の棚橋です。

今日は障がい総合支援ひかりにとっての「放課後等デイサービス」と「放課後等デイサービスひかりのにわ」についてお話させていただきます。

児童デイサービス(放課後等デイサービス)との出会い

代表の棚橋は、高校を卒業してスーパーマーケットの店員から始まり、そして2010年相模原市内で放課後等デイサービス前身である「児童デイサービス」に巡り合います。
当時、まだ法整備が始まったばかりで運営をしても資金は潤沢とは言えず、事業所は数える程度しかありませんでした。そのため、児童デイサービスに通えるお子さんは手帳で言うところのA1やA2のお子さんばかりでした。当時、児童デイサービスがオープンすると「まるで椅子取りゲーム」と保護者の方々が口にしていたように、保護者の方々が情報を聞きつけ集まってきました。当時を振り返り、保護者の方はこんなことを言っていました。
「放デイがオープンするとなると、ママ友と一緒に見学に行きました。なんなら、求人広告を見て探していました」
今では少し考えられませんね。

放課後等デイサービスの始まり

放課後等デイサービスが始まった2012年、法律の整備により運営に関する費用が安定したこともあり、放課後等デイサービスは異業種やフランチャイズの参入もあり爆発的に増え、特に相模原市は全国的にも指折りの激戦地区になりました。
それまで、椅子取り競争だったのが、内容が評価される時代へ。
当時はバラマキ政策といわれるくらい、支援費も恵まれていました。
周りとの差別化を図るため、様々な形態が生まれました。
そんな中、私は児童デイサービスやヘルパーを運営していた当時の会社を離れ、新たに始まった「児童発達支援管理責任者」を目指して2014年に新規参入の会社へ転職します。
その会社には1年足らずしかいませんでしたが、3つの放課後等デイサービスを開設し、現在も数多くの利用者様が通われ、法人も大変大きく全国区のサービスに成長しています。
その後、恩ある方の在宅介護を支えるため声をかけていただき、訪問事業(ヘルパー)の立ち上げに携わりました。

『障がい総合支援ひかり』の始まり

訪問事業は法人の都合で閉所してしまったため、同時に退職しました。その時、自分が何がしたいのかを振り返って考える機会をいただきました。そして、2016年に『障がい総合支援ひかり』を設立することになります。
当時、私はかかわっていた親御さんが「足りない!」「いいところがない」と言われていた「生活介護」事業を始めるつもりでした。しかし、知識やノウハウが無いことや、放課後等デイサービスでもまだ足りていないことがあるのではないか、と話をしてくださった方がいて、自分自身の経験が長かった放課後等デイサービスを始めることにします。
それでも、いろいろなサービスを行い、障がい者福祉を充実させたいという思いを忘れないために、そして障がいのトータルサポートを目指す会社として会社名を「障がい総合支援ひかり」と名付けました。

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